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超言理論

特に益もない日記である

犀は鉄人の隠語

原始仏教典の犀の角の詩を読む。

よく聞くのは中村元訳のもの。

ブッダのことば―スッタニパータ (岩波文庫)

ブッダのことば―スッタニパータ (岩波文庫)

内容として、有名どころだと
"あらゆる生き物に対して暴力を加えることなく、あらゆる生き物のいずれも悩ますことなく、また子を欲するなかれ。いわんや朋友をや。犀の角のようにただ独り歩め”
“交わりをしたならば愛情が生ずる。愛情にしたがってこの苦しみが起こる。愛情から禍いの生じることを観察して、犀の角のようにただ独り歩め”
“朋友、親友に憐れみをかけ、心がほだされると、おのが利を失う。親しみにはこの恐れのあることを観察して、犀の角のようにただ独り歩め”
“子や妻に対する愛著は、たしかに枝の広く茂った竹が互いにあい絡むようなものである。筍が他のものにまつわりつくことのように、犀の角のようにただ独り歩め”
“林の中で縛られていない鹿が食物を求めて欲するところに赴くように、聡明な人は独立自由を目指して、犀の角のようにただ独り歩め”
“仲間の中におれば、休むにも、立つにも、行くにも、旅するにも、つねに人に呼びかけられる。他人に従属しない独立自由を目指して、犀の角のようにただ独り歩め”
“仲間の中におれば、遊戯と歓楽がある。また子らに対する愛情は甚だ大である。愛しき者と別れることを厭いながらも、犀の角のようにただ独り歩め”
“四方のどこにでも赴き、害心あることなく、何でも得たもので満足し、諸々の苦難に堪えて、恐れることなく、犀の角のようにただ独り歩め”

あたりなら何となく仏教を知っている人なら一緒に知っているかなという感じ。
どれを見ても「人と一緒にいても意味ないじゃん?どうせ死ぬときは一人じゃん?愛情とか友情とか持っても結局裏切られて悲しい思いするだけじゃん?ボッチが良いじゃん?ていうか全部自分でなんとかしようぜ?」みたいな内容です。

何となく言いたいことが分かる気がします。
四半世紀というととても短いように思いますが、人生一世紀あってもここが折り返し地点です。
子供の頃のむき出しの感情はもうきっと人に見せることなんてないし、誰にも内緒の秘めた思いなんて言うのはこの年になればもう墓の中まで持っていく意外に処理する方法なんてないのです。
これ以上どれだけ生きても、きっと今までに心の底から言いたいことを言った相手がいなければこれから先もそんな相手は出てこないのでしょう。それこそ漫画やドラマにあるような運命的な出来事があれば別なのでしょうが、つまりそんなことは万が一にも起こりえないのです。

自分が犀だとは言わないし、それこそ仏陀でも、鉄人でもありませんが、
ここまできて結局こんなチラ裏みたいな日記帳にしか「犀のようにただ一人歩むかしかない」とかくところがないのだから、結局やっぱり自分は角なんだろう。


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